アカイシマウマ

自分嫌いを克服したら人生が楽になった。

『嫌われる勇気』を簡単にまとめてみた


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こんにちは。

うっちーです。

 

いまさらなんですが、岸見一郎氏、古賀史健氏著のベストセラー『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』を読みました。

嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え [ 岸見一郎 ]

 

心理学三代巨匠の一人、ルフレッド・アドラーの唱えた個人心理学を哲学者と若き青年との対話を通じて解き明かしていく、まさに名著。

 

香里奈さん主演でドラマ化もしたので、多くの人が知っているのではないでしょうか。

 

画期的ですばらしい内容に感銘をうけ、いざ実践しようと立ち上がりました。

しかし、私の足はそこで止まってのです。

 

まずなにをすればいいのか、と。

 

おおまかな内容はわかっても、行動にうつすにはそれ以上の理解が必要であり、この理解が難しいのがアドラーの個人心理学のやっかいなところです。

 

アドラー自身も『個人心理学は、おそらくすべての心理学のなかで、学び実践することが、もっとも困難である』と言っているくらいですから。

 

そこで今回は復習もかねて『嫌われる勇気』のポイントをおおまかにまとめてみました。

 

※一部ネタバレ要素が含まれています。ご注意ください。

 

 

大テーマ「すべての悩みは人間関係」

 

アドラー「すべての悩みは人間関係」であるとし、だからこそ「人は変われる」そして「幸せになることができる」と説明されています。

 

前半部分では主に自己評価と他者へのしがらみについて書かれています。

ライフスタイルや劣等コンプレックスなど。

 

後半部分では対人関係の複雑に絡み合った糸をほぐす手段について説明されています。

課題の分離、共同体感覚についてなど。

 

つまり、前半では自分の今の状態を知り、後半でそれを変える術を身につけられるように構成されています。

 

 

「ライフスタイル」の目的を考える

 

アドラーはトラウマ(原因論)を否定し、目的論を展開しています。

 

 幼い頃に虐待をうけたこと原因で引きこもっている(原因論

 引きこもっていたいから虐待をうけたことを理由にしている(目的論)

 

手厳しいようですが、われわれは過去や感情に支配されるのではなく、今の目的にあった過去や感情を選びその目的を叶えようとしているのです。

 

いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。

われわれの経験によるショックーいわゆるトラウマーに苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。

自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定する。

 

そしてその人の持つ気質や世界観のことを

アドラーは「ライフスタイルと呼びました。 

 

 

 このライフスタイルは自分で選択したものであり、選びなおすも可能です。

 

それでもなお、変われない人は多くいます。

 

本書ではこのような人の心理として、『いろいろ不満はあったとしても「このままのわたし」でいることのほうが楽であり、安心』だから変わらないという不断の決心をしていると指摘しています。

 

また、ライフスタイからの流れで劣等感についての説明がありました。

個人的にはここが大変興味深いところでした。

 

人間は「優越性の追求」という普遍的な欲求を持っています。

これは無力な状態から脱したいと願う欲求です。

 

そして「優越性の追求」があるからこそ「劣等感」が生まれるのです。

なぜなら劣等感とは、理想に達していない自分に対して劣っているように感じることだからです。

 

 ふつう劣等感は健全な努力や日々の成長によって埋めることができます。

しかし、その努力や成長をする勇気がない人は「劣等コンプレックス」に陥ってしまいます。

 

劣等コンプレックスとは、自らの劣等感を言い訳に使う状態のことです。

 

 自分は学歴がないからより多く勉強しなければいけない(健全な努力)

 自分は学歴がないからどの企業にいってもダメだ(劣等コンプレックス)

 

劣等コンプレックスに陥ると、本来はなんの因果律もないところに、あたかも重大な因果律があるかのように自分自信に説明し、納得させてしまいます。

見せかけの因果律

 

この見せかけの因果律を使ってライフスタイルを変える決心をしない、その勇気を持たないようにしているから変われないのです。

 

逆にいえば、ライフスタイを変えないという目的があり、そのために見せかけの因果律を使って自分をごまかしているのです。

 

そして本書は言います。

変われないわたしたちに必要なのは『幸せになる勇気』だと。

 

 

「課題の分離」で他者の課題を切り捨てる

 

複雑に絡み合った対人関係の糸をときほどく入り口として、「課題の分離」が紹介されています。 

 

課題の分離とは、自分の課題なのか他者の課題なのかを見極めることです。

 

あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むことーあるいは自分の課題に土足で踏み込まれることーによって引き起こされます。

 

誰の課題なのかを見極める方法として、

その選択によりもたらされる結果を最終的に引き受ける人は誰か

という視点で考えればおのずと見えてきます。

 

 婚期をすぎてしまった娘にお見合いを薦める母親

 →結婚は娘の課題であり、母親は介入してはいけない

 

人は他人からの評価が気になるものです。

しかしここでも課題の分離をすることが必要になります。

 

 気分がのらず会社の飲み会を断ったが、同僚や先輩から

 ノリの悪いやつだと思われていないか心配

 → 飲み会に行くかどうかは自分の課題

  その決断に対して他者がなんと思うかは他者の課題

 

多くの人が他者の課題であることも自分の課題だと思い、他者の評価を気にしているのです。

 

そんなわたしたちに、できることはただひとつ。

おのれの信じる道を選択することです。

 

他者がどう思うかは他者の課題であり、わたしたちにはコントロールしえないものですから。

 

人生のタスクに立ち向かう

 

自分と他者の課題を分離できるようになるとようやく出発点にたてます。

 

下記の図は「課題の分離」をスタートし、「共同体感覚」というゴールにたどり着くための道を簡単にしるしたものです。

 

 

課題の分離ができただけではゴールへはたどり着きません。

 

そこから「人生のタスク」に立ち向かう必要があります。

 

人生のタスクとは、「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」の3つに分類される対人関係のことです。

 

  •  仕事のタスク:会社や取引先との対人関係
  •  交友のタスク:友人との対人関係
  •  愛のタスク:家族や恋人との対人関係

この3つの対人関係から逃げてはいけないとアドラーは言います。

 

それでも人は、自分の置かれている状況や負っている責任を、他者のせいにしたり責任転嫁することで人生のタスクから逃げてしまうことがあります。

 

これをアドラーは「人生の嘘」と呼びました。

 

人生のタスクに立ち向かえない言い訳(嘘)をあげつらうのです。

 

 理不尽な上司がいるから仕事がうまくいかない

 →理不尽な言動は上司の課題。自分の仕事がうまくいかないという

  自分の課題の責任を上司に転嫁している。

 

人生の嘘を使いそうになったら課題の分離をし、他者の課題は切り捨て、自分の課題に専念しましょう。

 

わたしのなすべきことは、自らの人生に嘘をつくことなく、自分の課題に立ち向かうことなのだ

 

 

自己への執着を他者への関心に切り替える

 

ゴールである共同体感覚はおおざっぱに言うと「所属感」のことです。

つまりは「ここにいてもいいんだ」と思えること。

 

しかし所属感とは共同体に属しているだけでは得られません。

共同体に対して積極的にコミットしていく必要があります。

 

その方法が、人生のタスクに立ち向かうことであり、自己への執着から他者への関心へ切り替えることなのです。

 

本書にはこの切り替えるための方法が紹介されています。

 

  • 自己受容:交換不能なものを受け入れ、変えられるものは変える勇気を持つこと
  • 他者信頼:無条件に他者を信じること
  • 他者貢献:仲間である他者に貢献しようとすること

 

自己受容は自分にコントロールできないものを受け入れること、そして変えられるものを変える勇気を持つこと。

 

すぺてをポジティブに受け取る自己肯定とは違い、あるがままを受け入れ、それでいて前進することをやめないのが自己受容です。

 

他者信頼は無条件の信頼です。

担保付きの「信用」ではありません。

 

他者貢献は仲間のためになることを、自分のためにすることです。

自分を捨ててまで他者に貢献する「自己犠牲」とは違います。

仲間でない人に自分のためだけに貢献する「偽善」とも違います。

 

ちなみに、あなたの貢献が本当に相手のためになっているかは関係ありません。

ここで大切なのは、あくまであなたが貢献したという感覚、つまり「貢献感」を持てればいいのです。

 

 家族のために手料理を作った

 →家族がありがたい、美味しいと思うかは他者の課題

  家族に貢献できたと思えるかは自分の課題

 

他者を仲間だと思え、貢献感を持つことができれば、「所属感」を得ることもできるでしょう。

 

 この所属感(共同体感覚)の先に「幸福とは」についての

回答があるのですが、それは本書を読んでからのお楽しみ。

 

 

読んだ感想 一言でいえばアドラー心理学は難解だが痛快。

 

アドラーの教えは非常に手厳しいと感じました。

難解であり、また手厳しい。つまり痛い。

 

それでも痛いところを何度もつつかれながらも読み進めるうちに

その痛みがやみつきになる不思議な感覚を持ちました。

 

わたしが特に痛かった言葉が「課題の分離」「人生のタスク」「他者への関心」。

 

自分のいままでの人生を振り返り、自己中心的な態度をとり、

「人生の嘘」を使って多くのタスクから逃げていたことを痛感しました。

 

そしてそれは自分自身が対人関係で傷つくのを恐れての行動だったこともわかりました。

 

この本は自分の現状を知り、進む先を教えてくれます。

しかし一歩踏み出すのは他でもないわたしたちです。

 

恐れを取りはらい一歩進む勇気を持つこと、それが『嫌われる勇気』なのでしょう。

 

その勇気の大切さを知ることができるすばらしい本でした。

 

まだ読んでいない方、読み途中の方はぜひ一読されることをおすすめします。

多くの気づきと勇気を得ることができるはずです。

 

ちなみにわたしは3日で3周読みました。笑

 

 

 

もう読んだ方は続編『幸せになる勇気』もおすすめです。

より実戦的な勇気の使い方を教えてくれます。

個人的には衝撃のラストでした。

 

 

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今回簡単にでもまとめ記事を書こうと思ったのは、

アドラーの難解な教えを自分なりに咀嚼しようと思ったからです。

 

本全体ではなく、一部分の要約にとどまるかたちにはなりましたが、

正直今のわたしにはこれが限界なのでしょう。

より理解が深まったら追記しようと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。